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戦略と美学と間
〜羽生結弦と上杉謙信

ナポリ日本文化協会「L'ALTRO GIAPPONE」の依頼で執筆したエッセイ

イタリア語版(L’ ALTRO GIAPPONEより)
YUZURU HANYU | SPECIALE ‘TEN TO CHI TO’


私は本の中で育った。
両親が共に大の読書好きであったため、家には大きな書架があり、少々ませた子供であった私は小学生の頃から面白そうな本を引っ張り出しては読もうと試みたものである。 ギリシャ・ローマ神話からアーサー王伝説などの神話にハマった時期、近代文学にハマった時期、アレクサンドル・デュマの歴史冒険小説にハマった時期、マリー・アントワネットやメアリー・スチュアートの悲劇を描いた伝記小説にハマった時期、カフカやカミュなどの不条理文学にハマった時期、シャーロック・ホームズ・シリーズまたはアガサ・クリスティにハマった時期など、年齢によってマイブームは移り変わった。
そして、司馬遼太郎や山岡荘八などの歴史小説を読み漁った時期もあった。 この時期、戦国武将や彼らを取り巻く姫達を描いた歴史小説を片っ端から読破していた私は、中でもひと際異彩を放つ武将、上杉謙信の生き方と戦い方に魅せられた。 海音寺潮五郎の『天と地と』は読んでいないが、吉川英治『上杉謙信』は読んだ。井上靖の『風林火山』では主人公の山本勘助ではなく、出番の少ない上杉謙信に共感を覚えた。

羽生結弦が昨シーズンのフリープログラムに上杉謙信を描いた大河ドラマ「天と地と」の楽曲を選んだことは、上杉謙信も羽生結弦も好きな私としては非常に嬉しいサプライズであった。

羽生は以前、フリープログラムで安倍晴明を演じている。安倍晴明は平安時代の陰陽師で、帝の宮廷で活躍した実在の人物だが、現在に伝えられている清明像はほぼ伝説の人物である。 試合になると、どこからともなくフワッと現れて神憑り的な演技を披露し、試合が終わるとまだどこかへフッと消えてしまう、21世紀に生きる人間でありながら、どことなく非現実的で神秘のベールに包まれた羽生結弦は、伝説と史実の狭間にいて、人間界と霊界を行き来する安倍晴明とイメージ的に重なるところがあった。
実際、羽生は、20歳から25歳までの5年の間にこのプログラム「SEIMEI」で、まるで結界の中で演じているような異次元の演技を幾度となく見せてくれたのである。

新プログラム「天と地と」を初披露した時、羽生は26歳のより成熟したスケーターになっていた。
コロナ禍で練習拠点のカナダに戻れず、暗闇の中で一人葛藤し、思い悩んでいた羽生は、上杉謙信の価値観と美学に共感を覚えたと言う。

戦術に長け、戦場における圧倒的な強さ故に後に軍神と呼ばれた謙信は、謀反、下剋上、骨肉争いが日常茶飯事であった戦乱の世にあって、一貫して「義」を貫いた清廉な武将として知られている。 実際、覇権争いや領土拡大のための内乱や戦が絶えなかったこの時代、謙信は秩序と道理を通すために戦っても、決して私利私欲のための戦はしなかった。 謙信のこうした気性、闘いの美学は羽生と共通する。

謙信が稀代の戦上手であったように、羽生結弦もまた優れた戦略家である。
ソチ五輪シーズンにはショートプログラムでは3アクセルとコンビネーションジャンプを後半に跳んで史上初めて100点を超える高得点を叩き出し、フリープログラムでは2種2本の4回転ジャンプに加え、3ルッツ2本、3アクセル2本を含む7本の3回転ジャンプを後半に固め、基礎点でライバル達を引き離した。
ソチ五輪後は多種複数クワドの時代が到来することを予見し、4回転ループや4回転ルッツなどの新しい4回転ジャンプの習得に取り組んだ。

しかし、羽生のフィギュアスケートには美学がある。
彼は4回転ジャンプを多く跳ぶために振付や音楽との調和を犠牲することはない。彼にとって、ジャンプはあくまでも表現の手段であり、プログラムの中に自然に組み込まれた振付の一部でなければならないのだ。
勝ちを優先するならば、他の多くの選手達がそうしているように、体力を温存し、失敗のリスクを低減するために、振付を省き、ジャンプを跳ぶことに集中する方が得策だろう。数年前に導入された「シリアスエラー」なる不可解なルールによって、難しいステップからジャンプを跳んで万が一転倒した場合、トランジションやスケーティングスキルを含む演技構成点まで一律で下げられてしまうのだ。長い助走からジャンプを跳んだ方がより安全で確実ではないか。 しかし、彼は決してそうはしない。彼の美学に反するからだ。

謙信と言えば敵に塩を送ったエピソードが有名である。
謙信が敵将に対しても敬意を払い、公明正大であったことを伝えるエピソードである。
羽生結弦もまたライバルを称賛し、時には激励する姿勢によって、スポーツマンシップが何たるかを幾度となく世界に示している。

2019年全日本選手権、羽生にとっては北半球を何往復もしながらの3連戦の最終戦であり、心身共に極限状態だった。 それでも、彼はショートプログラムでは見事な演技で110点の高得点を叩き出し、ミスのあったライバル達を引き離して首位に立った。 この時の状況を考えれば、フリープログラムでは無理をせず、4回転ジャンプはトゥループとサルコウの2種3本に難度を下げていれば、優勝出来たのではないかと思う。 しかし、彼は敢えて4回転ループを入れた3種4本クワドの構成に挑み、結果的にミスを連発して宇野昌磨にタイトルを譲ることになった。

疲労困憊にも拘わらず、何故、彼は難度を下げない選択をしたのか?これは私の想像だが、ライバル達に敬意を払ったのではないかと思う。実際、羽生は開会式後のインタビューで「ここに、ここだけのために合わせてきた選手もたくさんいる。そういう選手達に敬意を持って、その方々に失礼にならないような、全力の演技でぶつかっていきたい」と発言している。

羽生結弦は誰よりも勝負にこだわる選手だが、勝つために裏技を使うようなことは絶対にしない。ジャンプでもスピンでもステップでも、彼の技術は一点の曇りもなく「クリーン」である。彼の辞書に「ごまかし」や「手抜き」は存在しないのだ。

その羽生は、昨シーズンからずっとコーチ無しで一人で練習を続けている。ロシアやアメリカの選手を含む多くのトップスケーター達が、コーチや振付師から日々フィードバックを受けられる恵まれた練習環境を保証されていることを考えると、五輪二連覇を成し遂げたトップ中のトップである羽生が、夜中しか使えない一般リンクで一人で練習しているこの状況は異常である。

しかし、羽生は昨シーズンの全日本選手権の時でさえ、コーチを日本に呼ばなかった。「(コロナ禍の)この世の中で胸を張って試合に出るには、コーチを呼んではいけない」という強い覚悟の表れだった。そして、『天と地と』の楽曲と共にリンクに降りた羽生は、まるで軍神が乗り移ったかのような圧巻の演技で圧勝したのである。

「謙信公に影響を受けた。戦いの神様にも葛藤があり、最後は出家し、悟りの境地まで達した価値観、美学が自分と似ている」と羽生は言う。
家臣同士の領土争いや国衆の紛争の調停に疲れた謙信が最初に出家を宣言し、高野山に引きこもったのは彼が26歳の時であった。奇しくも羽生がこのプログラムを試合で初めて滑った時と同じ年齢である。

羽生にとって、悟りの境地の先にあるのが4回転アクセルなのではないかと私は思う。どうしても主観や組織的な思惑が入り込む人間による評価や得点を超越した、彼にしか見えず、彼にしか到達出来ない別のフロンティアにあるジャンプ、それが4回転アクセルではないか。彼はこの前代未踏のジャンプを試合で成功させたいと公言している。彼にとっての「成功」とは、彼のフィギュアスケートの美学を犠牲にしてただ跳んで降りることではない。彼が理想とするフィギュアスケートの形、ジャンプもスピンも全ての要素が表現の一部となったプログラムの流れの中で、正しく跳び、完璧に回転し、美しく着氷することなのだ。
これが羽生結弦であり、彼の美学なのだ。

羽生自身は平昌オリンピックで金メダルを獲った後、北京シーズンまで現役を続けているとは思ってもいなかったのではないかと私は思う。 おそらく、残された最後の目標、4回転アクセルを早々に着氷し、引退するつもりだったのではないか。 しかし、彼のこの壮大な目標は、怪我やパンデミックといった度重なるアクシデントに阻まれて結果的に北京シーズンに持ち越されることになった。
五輪の女神が彼を引き留めたのではないか? 彼はそのような宿命の人なのだ。

最後に羽生結弦と上杉謙信のこれまでの年表を勝手にまとめてみた。
27歳はどうなるのか、今から楽しみである。


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